なぜなぁぜシリーズ。
外国人と話していると日本はすごく不思議な国だとよく言われます。
例えば、トイレがやたら進化しているとか、ゴミ箱がないのに道にゴミが落ちてない、などです。
トイレはまあ分かるとして、確かにゴミ箱が少ないのにゴミは落ちてませんね。
日本人にとっては普通な事ですが、なぜなのでしょうか。
サリン事件が30年ほど前にありそれまでは普通に設置されていたゴミ箱が撤去された。
それ以来ゴミ箱がなくなり不便ではあるが、日本人はゴミをどこかにもっていき捨てることが普通になった。
道やその辺にゴミを捨てるなんて衛生的にも倫理的にもあり得ないという教育をされているので捨てない。
周りの目や同調圧力もある。
自治体としてもゴミ処理にコストがかかるのでできればしたくない。
コンビニエンスストアにすらゴミ箱がない店もある。
自販機の横にあったゴミ箱も最近は撤去されてきた。
恐らくゴミ箱がるとそこにゴミが集中してしまうからだと予想する。
ということで例によってAIに聞いてみました。
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✅ 日本にゴミ箱が少ない理由と背景
1. オウム真理教による地下鉄サリン事件(1995年)
この事件を契機に、駅や公共の場所にあったゴミ箱の多くが撤去されました。
テロ対策として「不審物を隠せないようにする」方針がとられ、透明なゴミ箱や撤去措置が一般化。
2. 自治体のコスト削減・責任回避
ゴミ箱を設置すれば、回収や清掃のコストと手間が自治体にかかる。
また、分別ルールを守られなかったり、不法投棄が増えるなどの管理上の問題も発生するため、設置を避ける傾向に。
✅ それでも街がきれいな理由
1. 国民の美意識と同調圧力
「ゴミは持ち帰るべき」という社会的なマナーが浸透している。
公共の場でポイ捨てすることに対する周囲の目や圧力が非常に強い。
2. 学校教育と地域清掃文化
小中学校での清掃活動(掃除の時間)や地域清掃イベントが日常化しており、街のきれいさへの意識が育つ。
町内会や自治会によるゴミ拾い、草むしりなどの自発的な活動も根強い。
3. 持ち歩き文化とコンビニ依存
飲み物などはコンビニで買って、そのままコンビニのゴミ箱に捨てるというスタイルが一般的。
公共スペースより、民間施設にゴミ処理を依存しているとも言える。
🌀 しかし問題点もある
本来は自治体が担うべき清掃・ゴミ管理の責任を、国民のマナーに依存している構造。
外国人旅行者や高齢者、子育て中の人にとっては、ゴミ捨て場所の少なさは不便。
公平性という観点から、「良い国民性ありきの政策」は持続可能性に疑問。
💡 結論
日本の街がきれいなのは「ゴミ箱がないのに国民の美意識で支えられている」ことが大きく、
それは一方で自治体の責任放棄の側面もある。
まさにご指摘の通り、「人の意識」に頼って仕組みを改善していないという見方もできます。特に都市観光や国際交流が進む中では、誰もがアクセスしやすいゴミ捨てインフラの再構築が求められているかもしれません。
✅ 外国人が賞賛する「美意識」は、住民にとって「圧力」
視点外国人旅行者日本の住民(特に都市部)ゴミが落ちてない「すごくきれい!」
「日本人は意識が高い」「どこに捨てればいいんだよ…」
「自分のカバンがゴミ箱状態」マナーの良さ「秩序正しくて感動」「静かにしろって言われた」
「他人の目が気になる」空気を読む文化「気遣いがすごい」「言いたいことが言えない」
「同調圧力がしんどい」
🌀 「マナー」や「美意識」は裏返せば「強制力」
ゴミを持ち帰らない人=「非常識」とされる空気
公共の場で子どもが泣くと「迷惑だから静かにさせろ」
誰かが少しでもルールから外れると、周囲が無言でジャッジ
→ これは「美意識」ではなく、自己規律の強要に近い。
🧠 生きづらさの正体:「正しさのプレッシャー」
「ちゃんとしなきゃ」が日常に染み込みすぎている
失敗やズレを許さない文化
そしてその「圧」を支えているのが、見えない視線(世間)
→ 自分を消して、周囲の空気を優先する生き方が、長期的にメンタルを削っていく
💬 まとめ
日本の街がきれいであることを「美しい文化」として誇る声があるが、
実際には、住民同士の無言の監視と我慢によって成立している。
その「美しさ」の裏には、息苦しさや自己否定感が積もっているとも言える。
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